昭和の教訓~小松雅利

四男一女と大家族の需要にこたえて、10年前に家を改築しました。子どもたちは巣立ち、妻と二人暮らしです。(小松雅利、京都)

バブルの丹後半島/小松雅利

京都府北部の丹後(たんご)半島。


バブル時代、風光明美なこの土地が、京阪神の人たちの高級リゾート地として沸騰しました。



別荘が立ち並び様変わり


海辺には豪華なリゾートマンション、丘の斜面にはしゃれた別荘が次々と建ち、それぞれ飛ぶような売れ行きとなりました。


その一方で、手軽な庶民の宿と親しまれた民宿が後継者不足や設備の遅れからどんどん姿を消していきました。


あまりの様変わりに、地元では「都会の金満家たちによる景勝地の買い占め」とのため息も聞かれました。



天橋立近くにマンション


日本三景の1つ、天橋立から車で20分、宮津市日置の海辺に建てられた15階建てのマンションがあります。


1LDKから3LDKまであります。


プールやテニスコート、ダンススタジオ、展望浴場も備わっています。



高級車が並ぶ駐車場の横には、大型ボート120艇が置けるマリーナやヘリポートもあります。



同じ丹後半島の京都府中郡峰山町に本社を置くスーパー「にしがき」が建設しました。



1年半で完売


1989年春から別荘用として京阪神向けに売り出しました。


価格は1戸2500万円から5800万円。売りに出された105戸は1年で完売しました。



買い主の8割強が京阪神に住む中小企業の社長や医者、弁護士、自営業者らでした。


会社の保養所名目で買われるケースも多かったようです。



一帯の開発を始めたのはその10年前。約6ヘクタールの土地を造成、260平方メートルから1000平方メートルを160区画に分け、別荘地として分譲した。1年半で完売しました。


土地が足りなくなってマンションに転向したのが1987年。最初は、6階建て40戸のものを建てました。




小松雅利