バブル時代は、京都でもメチャメチャな開発が行われました。町並みだけではなく、生活基盤まで壊されました。「町づくりじゃなくて、町壊しや」と、思ったものです。
町のどこからでも山並みが見える、山紫水明。それが、千年の歴史を語りかける不動の原風景。のっぽビルはそれを壊す。京都は日本の顔。顔を壊したら取り返しがつきません。
私の父は戦前、建築家がこぞって重厚長大な建築に関心を示すとき、庶民の住む住宅に自分の道を見いだしました。「すまい」にこそ建築の本質があると考えたからです。旧制三高、京大時代、京都の庶民のつましくも味わい深い暮らしぶりにひかれたのかもしれません。以来、徹底して庶民の目の高さで「住む」と「すまい」にこだわり続けてきました。